【記事更新】私のブックマーク「内受容感覚から創発される感情」


私のブックマーク

内受容感覚から創発される感情

大平 英樹(名古屋大学)

1. はじめに

 感情(affect)は,人工知能研究にとっても重要なトピックになりつつある.表情・発話・生理的反応などからの感情推定や,最近では大規模言語モデル(large language model:LLM)を用いたテキストデータからのセンチメント(感情)分析などが盛んに研究されている.しかし,他分野における人工知能の驚異的な発展と比較すると,人間の感情を人工知能により把握しようとする試みは,あまり成功しているように見えない.
 その原因は人工知能技術の問題というよりも,感情という現象の理解にあるのではないだろうか.例えば,LLMを用いたテキスト分析では,Plutchikの円環モデル(Plutchik, R.: A psychoevolutionary theory of emotions, Social Science Information, Vol. 21, No. 4-5, pp. 529-553(1982))にある 8種類の基本情動(basic emotion:喜び・信頼・おそれ・驚き・悲しみ・嫌悪・怒り・期待)の強度を推定しようとすることが多い.しかしこれは日常的直観から導き出された理論であり,実証的な根拠は薄い.こうした考え方を素朴心理学(folk psychology)と呼ぶ.人工知能に限らず,感情の研究では,まず素朴心理学を排し,科学的な視点から感情を概念化することが必要である.
 そこで本稿では,まず心理学における感情理論を概観したうえで,近年注目されている心理構成主義(psychological constructionism)の感情理論を紹介する.この理論では身体内部の知覚である内受容感覚(interoception)を重視し,その予測的処理(predictive processing)から主観的な感情経験や,さらには意思決定が創発されると主張されている.本稿では,この感情についての新しい考え方を理解するために有益なサイトや Web上情報を紹介したい.

2. 心理学における感情理論

 心理学における感情理論の出発点となるのは 19世紀に提唱された James-Langeの末梢起源説である.これは,「私達は悲しいから泣くのではなく,泣くから悲しいのだ」,という有名な表現で知られる,身体反応を重視した理論である.一方,Cannon-Bardの中枢起源説は,身体反応は遅すぎ,分化も乏しいという実証的知見から末梢起源説を批判し,感情経験における中枢神経系の役割を強調した.その後,Schachter-Singerの情動二要因理論,基本情動理論,認知的評価理論,構成主義理論などが現れ,感情の理解はさまざまな観点を巡る論争を経て展開してきた.
 こうした古今の感情理論を概観するには, Stanford Encyclopedia ofPhilosophyの Emotionの項目が有用である.ここでは哲学的論点を含めて,感情をめぐる主要な立場が整理されている.同様に Internet Encyclopedia ofPhilosophyの Theories ofEmotionの項目も勧められる.心理学史の観点からは, Gendron, M. and Barrett, L.F.による “Reconstructing the past: A century of ideas about emotion in psychology”が,James, W.らの理論,Cannon, W. B.らの理論,基本情動理論,心理構成主義などを鳥瞰する見取り図を与えてくれる.これらは英語のサイトであるが,最近では自動翻訳の技術が高くなっているので,初学者でも容易に読むことができる.
 日本語で読める情報としては,筆者が編集した『感情心理学・入門』という教科書がある.2024年 12月に改訂版が出版され最近の動向までをカバーしている(大平英樹編:感情心理学・入門〔改訂版〕,有斐閣(2024).また, 日本感情心理学会のサイトJ-STAGE上の『感情心理学研究』『心理学評論』『認知科学』などのジャーナルにも関連した論文が掲載されている.もちろん,本学会誌の関連の記事(熊野史朗:AffectiveComputing(感情計算論),人工知能,Vol. 40, No. 2, pp. 238-244(2025))も有益である.

3. 感情の心理構成主義と内受容感覚

 近年の感情研究で重要な位置を占めるのが,Barrett, L. F.らが提唱し展開しつつある心理構成主義の理論である(Barrett, L. F.: The theory of constructed emotion: An active inference account of interoception and categorization, Social Cognitive and Affective Neuroscience, Vol. 12, No. 11, p. 1833(2017)).この立場は,基本情動理論が主張するような感情は生得的な少数の情動モジュールにより生じるという考え方を批判する.そして,内受容感覚から快 ─不快と覚醒 ─鎮静という二つの基本次元からなるコアアフェクト( core affect:核心感情)が生成され,それが概念や状況解釈などによりカテゴリ化されて経験される情動( emotion)が創発されると考える.この考え方は,人工知能研究にとっても興味深い.なぜなら,感情を生得的であらかじめ固定されたものと考えるのではなく,身体状態と概念から学習され生成されるカテゴリ化の過程として扱うからである.この新しい感情の考え方は,人工知能による感情のモデル化にも大きな示唆を与えるだろう.
 最近の内受容感覚の概念について理解するには,Chen, W. G.らの “The Emerging Science of Interoception” が良い.この総説論文では,内受容感覚を,従来のように単に内臓などの身体内部の感覚ではなく,身体内部状態の検出,統合,解釈,さらに制御に関わる広い過程として捉えている.つまり現在では,内受容感覚は身体から脳への一方向的な信号伝達ではなく,脳と身体の双方向的な影響過程として理解されている.日本語の情報として筆者は本学会誌にて,「感情と意思決定を創発する予測的処理」(大平英樹 著,人工知能,Vol. 36, No. 1,pp. 21-27(2021))という論考を発表している.『BRAIN and NERVE』Vol. 75, No. 11(医学書院,2023)の特集「アロスタシス─ホメオスタシスを超えて」には,「内受容感覚・意思決定・感情の統合─予測的処理としてのアロスタシス」,「アロスタシス機構の設計原理─自由エネルギー原理」,「内受容感覚とアロスタシスからみた精神疾患」などの論考が含まれており,臨床神経科学・精神医学との接点を知るうえでも有益である.

4. 内受容感覚の予測的処理と意思決定

 心理構成主義の感情理論では,内受容感覚は予測的処理によって生成され制御されると考えられている.予測的処理は,Friston, K.を中心として提唱された脳の統一原理であり,脳は外界を受動的に写し取る装置ではなく,感覚入力の原因を予測する生成モデルであると主張される.知覚は,この予測と現実の信号との予測誤差を最小化することで成立する.また,予測誤差の最小化のために生成モデルの更新だけでなく,積極的に身体状態を変化させることも行われ,これを能動的推論( active inference)と呼ぶ.例えば,網膜に入力される視覚信号がぼんやりしている場合に,予測によって何を見ているのかという視知覚が構成される.また,目を細める,注意を高めるといった能動的推論によっても何を見ているかという確信を高めようとする.この考え方を身体内部に拡張することで,内受容感覚は,身体内部の状態についての予測と予測誤差の制御の過程として理解される.例えば,心臓の鼓動が早くなった,呼吸が浅くなったという身体状態の変化は身体の予測誤差を生じる.このとき,「この状況は危険か」といった推論がなされ,予測誤差を最小化するために逃避・回避の行動が選択される.
 このトピックについての有益な情報として, Active Inference Instituteがあげられる.ここには,予測的処理と能動的推論について,講義,対談,文献情報,チュートリアルが蓄積されている.専門書としては,Parr, T., Pezzulo, G. and Friston, K.による MIT Press Open Accessの “Active Inference: The Free Energy Principle in Mind, Brain, and Behavior” が重要であり,この書籍は邦訳も出版されている(乾 敏郎 訳:能動的推論:心,脳,行動の自由エネルギー原理,ミネルヴァ書房(2022)).さらに,Tumiel, J.の “Spinning Up in Active Inference and the Free Energy Principle”は,初学者が何から読むべきかを示す道標として便利である.また,Millidge,B.の FEP/ActiveInference論文リポジトリ は,研究者向けの文献探索に役立つ.日本語の情報としては,脳科学辞典『自由エネルギー原理』乾敏郎:知覚・認知・運動・感情・意思決定をつなぐ自由エネルギー原理,日本神経回路学会誌,Vol. 25, No. 3,pp. 123-134(2018)などがある.
 内受容感覚の予測的処理と意思決定を統合する計算論的枠組みとして,Keramati,M.らは恒常性強化学習(homeostatic reinforcement learning)を提唱している(Keramati, M. and Gutkin, B. S.: Homeostatic reinforcement learning for integrating reward collection and physiological stability, eLife,Vol. 3, e04811(2014)).例えば,重要な内受容信号である血圧や血糖値が,それらの予測から逸脱している状況を考えてみよう.この逸脱が予測誤差であり,脳は予測誤差を最小化しようと動機付けられる.食物を探すなどの行動の結果,予測誤差が縮小したならば,その行動の価値が高められ,次の機会にそれが再び選択される確率が上がる.この過程は快の感情として経験される.筆者による“Predictive Processing and Emergence of the Human Mind”( Psychologia, Vol. 65, No. 2, pp. 134-159(2023))は,この方向をさらに発展させ,内受容感覚,感情,意思決定,さらには人間の心の創発を予測的処理と恒常性強化学習の枠組みで定式化しようとする試みである.この総説論文では,Keramatiと Gutkinが示したアイディアをシンプルな計算論モデルとして実装しシミュレーションを行うとともに,筆者らによる実験研究のデータと対照することによって,この考え方の妥当性を検討している.

5. Spinozaの『エチカ』

 こうした身体性を重視したもう一人の感情理論家として,Damasio, A. R.をあげることができる.彼の著書 “Looking for Spinoza: Joy, Sorrow, and the Feeling Brain”(Harcourt, 2003)(田中三彦 訳:感じる脳:情動と感情の脳科学よみがえるスピノザ,ダイヤモンド社(2005))は,感情研究における脳と身体の関係を考えるうえで,今なお魅力的である.Damasioは,情動を身体状態の変化として,感情をその身体状態の心的経験として捉えたが,この発想の祖先として 17世紀オランダの哲学者である Spinoza, B.の思想を見いだした.Spinozaの主著『エチカ』(Spinoza, B.: The Ethics,Project Gutenberg)において,心と身体は別々の実体ではなく,同じ自然の二つの属性である.そして身体の変状とその観念こそが感情であると主張される.Spinozaの哲学的考察は現代の内受容感覚研究と直接同一視できるわけではないが,身体をもつ心を考えるための豊かな知的資源である.
 Spinoza『エチカ』は,幾何学のような独特の論理構造と形式で書かれていることもあり難解で知られている.最近,ディジタルヒューマニティーズの手法により Spinozaの思想を表現し理解を促進しようとする試みが始まっている. Digital Spinozismは,Spinozaの書いたテキストをディジタル化し,表やグラフによって可視化する試みであり,非常に興味深い.『エチカ』を原文ラテン語,英語,オランダ語の対照で読むことができ,各項目の引用や論理構造をネットワーク図により鳥瞰することができる. Ethica, work without obstacleSpinoza’s Ethics/Digitizing Spinoza’s Ethicsも,同様に『エチカ』の命題,証明,系,注解の論証構造を可視化するプロジェクトであり,『エチカ』の思想の構造を視覚的に探索することができる.人工知能研究者にとって,これらのサイトは単なる哲学趣味にとどまらない.これは『エチカ』における哲学的な思想を一種の知識構造として可視化し数理的に検討する,ディジタルヒューマニティーズの興味深い実践例として見ることができるだろう.

6. 趣味編

6・1 シミュレーションウォーゲーム

 せっかくの機会なので,本編をやや逸脱するが,筆者の趣味に関する情報も紹介したい.筆者は若い頃からのミリタリーマニアであり,シミュレーションウォーゲームを愛好していた.大学生になってからはレックカンパニーというゲームプロダクションに出入りするようになった.そこでゲームデザイナとなり,『D-day』,『F-16ファイティング・ファルコン』,『騎士十字章』(ボドゲーマ:大平 英樹(Hideki Ohira)6個のボードゲーム)というゲームを世に出した.25~ 30年も前のことである.ここでのゲームはコンピュータベースのものではなく,紙のマップとユニット(駒)を使うボードゲームである.今にして思えば,シミュレーションウォーゲームのデザインと,心理学・認知神経科学の研究は,頭の使い方は同じである.複雑な現実を動かしている潜在的なメカニズムを考え,それをシンプルな方法で可視化し,その妥当性を検証する過程だからである.筆者のこうした経緯については,日本心理学会『心理学ワールド』の記事(大平英樹:シミュレーション・ウォーゲーム,心理学ワールド,84号(2019)を見ていただきたい.
 Board Game GeekのWargamesページは,シミュレーションウォーゲームの一大サイトである.ゲームの評価,レビュー,フォーラム,プレイ記録などの情報が集積されている.また,伝統的なコンフリクトシミュレーションのコミュニティとしては Consim Worldがある.リアルな軍隊におけるシミュレーションウォーゲームに関心がある読者には, 英国国防省のWargaming HandbookNATOのWargaming Handbookを薦めたい.シミュレーションウォーゲームは,軍隊において図上で作戦行動を研究する兵棋演習をルーツとしている.太平洋戦争におけるミッドウェー作戦の前に,戦艦大和の艦上で実施された兵棋演習は有名である.空母赤城,加賀が撃沈され作戦は失敗という「ゲーム」の結果を無視して強行された作戦が,どのような結末に至ったのかは周知のとおりである.日本語圏では, コマンドマガジン日本版ゲームジャーナルボンサイ・ゲームズ(Bonsai GamesOnline)などのサイトや販売ページが,情報を得るのに有益である.

6・2 戦史

 ミリタリーマニアにもいろいろなジャンルがあるが,筆者は兵器や軍装など(これらは膨大な情報がある)よりも,戦略や戦術に強い関心をもっていた.ゲームをデザインしていた頃はインターネットがまだ存在しておらず,情報はすべて紙媒体に依存していた.1枚の写真,1枚の地図のために高額な洋書を発注し,それが船便で送られてくるのを何か月も待ったことがある.現在ではインターネット上に豊かな情報があり,隔世の感がある.
 筆者の作品の一つ『D-day』は,ドイツに占領されていたヨーロッパを奪還すべく,米英連合軍が 1944年 6月 6日から開始したノルマンディ上陸作戦を扱っている.例えば,この作戦に関する情報を渉猟してみよう. Library ofCongressの World WarⅡMilitary Situation Mapsでは,1944年 6月以後の西部戦線の戦況を 1日ごとに(!)詳細な地図で追うことができる.当時この情報があったら,どんなに便利であったことか.そこまでマニアでない一般読者には American Battle Monuments Commissionの “World War Ⅱ : A Visual History”がお勧めできる.第二次世界大戦の推移を,地図,写真,映像を組み合わせた資料により直感的に理解することができる.このプロジェクトも,一種のディジタルヒューマニティーズの実践として理解することもできる.

6・3 航空機の操縦

 筆者は,『F-16ファイティング・ファルコン』,『騎士十字章』という空戦ゲームをデザインしたように,航空機にも強い関心をもっていた.もちろん当時は記録や手記などの資料から,航空機の操縦や機動を想像するだけであった.現在,好きが高じて自家用軽飛行機のライセンスの取得を目指して訓練を始めている.飛行機の操縦は,まさに予測的処理と能動的推論の実践である.上空では常に風や乱気流があり,まっすぐ水平飛行するだけでも,常に修正しつつ操作する必要がある.しかも航空機の動きには遅れがあるので,フィードバック的な操作ではいわゆるダッチロールに陥ってしまう.先を予想しての操作が重要になる.それを可能にするのは,脳につくられる自己と機械を融合させた生成モデルである.
 そこで最後に,筆者が乗っている Cessna 172の操縦に関するサイトをあげておこう.まず公式資料として FAAの Airplane Flying Handbook(FAA)がある.離着陸,旋回,失速,緊急操作など,基本的な操縦概念を学ぶことができる. Cessna 172Sの Pilot’s Operating Handbook/Airplane Flight Manualは,機体固有の制限,性能,通常手順,緊急手順を知るための基本資料である.訓練手順のイメージをつかむにはAOPAの教材(AOPA: Cessna 172 Private Pilot Procedures)や, X-Planeの Cessna 172 Pilot Operating Manualも役立つ.実機の操縦はハードルが高いが,航空機の操縦を体験してみたいという人もいるだろう.いわゆるゲームではない本格的なフライトシミュレータを体験できる場として, 兵庫県神戸市にあるフライトシミュレータ体験施設「テクノバード」がある.インストラクタが丁寧に教えてくれるので,全くの初心者でも航空機を楽しく飛ばすことができる.

7. おわりに

 本稿では,心理学や認知神経科学で最近優勢になりつつある,心理構成主義の感情理論,すなわち内受容感覚の予測的処理の観点から感情を捉える研究を理解するための情報源を紹介した.この立場は,感情を「身体をもつエージェントが世界の中で自己を維持し,最適な行為を選ぶための推論」として理解する枠組みを提供する.そのため,感情の人工知能研究にも有益な示唆を与えてくれると考えられる.心理構成主義は国内ではまだ情報が少なく,理解が困難だという声もある.本稿がこの理論を理解するために少しでも貢献できれば幸いである.