【記事更新】私のブックマーク「ヒューマンロボットインタラクション」


私のブックマーク

ヒューマンロボットインタラクション

高橋 英之(追手門学院大学)

1.ドラえもんに憧れて

 筆者の研究テーマは,人間に寄り添うコミュニケーションロボットのデザインである.子供時代,友達がそんなに多くなかった筆者にとって,子供部屋の押し入れに住んでおり,いつでも話し相手になってくれる友達のようなコミュニケーションロボットの登場は悲願であった.そんな来歴もあり「なぜ,研究者になったのですか?」と質問された際,「ドラえもんのようないつも味方でいてくれる友達ロボットをつくりたくて」としばしば答えてきた.筆者に限らず,ドラえもんのようなフィクションから影響を受け,友達のようにコミュニケーション可能なロボットと暮らす社会の実現を夢見てきた研究者は多い.その一方,筆者が学生であった 2000年代前半においては,記号接地問題やフレーム問題など,ロボットの人工知能が超えるべき大きな壁の存在が指摘されており(筆者が学生時代に楽しく読んだ解説本),友達になってくれるロボットは容易には実現しないだろうと安直に考えていた.その一方,まだ人工知能技術が発展途上の時代であったからこそ,哲学や心理学,神経科学など,さまざまな観点から,知能とは何か,心とは何か,そんなふわふわとしたテーマを自由に(少しニヒルに言えば無責任に)議論できる大らかな空気感が当時のアカデミアにはあった.そのようなどこかモラトリアムな空気に押されて,筆者も研究者への道を進んだ.
 下記,学生時代の筆者にワクワクをくれた人工知能と境界領域をつなぐ本の一部である(少し古い本ばかりであるが).

(最後の 2冊は,人工知能について直接は論じていないが,非常に関連すると個人的には思っている)

2.社会に実装されつつあるコミュニケーションロボット

 しかし,筆者がモラトリアムに浮かれている間に,世界中の情熱ある研究者達は着実にドラえもんを現実のものにしてきた.2025年現在,人間とコミュニケーションしながらさまざまな作業を行うことが可能なヒューマノイドロボットの社会への普及が急速に現実味を帯びてきている.イーロン・マスク氏が率いるテスラ社は,2022年9月30日にヒューマノイドロボット Optimusを発表した.これまでも家庭用ロボットと銘打ったロボット製品はあったが,人間と同じ形状で,柔軟,かつ多様な動きが可能なヒューマノイドロボットを数百万円で販売するという計画に業界は衝撃を受けた.さらに,このようなロボット事業は中国などにおいて,すさまじい勢いで現実のビジネスになりつつある.例えば,2025年9月の日本において,中国のロボットメーカである Unitree社のヒューマノイドロボット G1は 200万円程度で,またイヌ型の四足歩行ロボットである Go2は 80万程度で購入可能である(R&Dエディションはこれよりも高額).これらのロボットは,階段を上り下りする,でこぼこの山道を歩くなど,従来の研究用ロボットから想像できないくらい柔軟で多様な動きを行うことが可能である.
 また,上記の話はロボットのハードについてであるが,それに並行してソフトウェアである人工知能の発展がすさまじいことは言わずもがなである.古典的なニューラルネットワークの研究の発展によって生まれた深層学習,そして Transformerや大規模言語モデル(Large Language Models)という技術は,人間と対話的にコミュニケーション可能な革新的な人工知能技術を生み出した.このような技術は,チャットシステムや APIという形でエンドユーザに至るまで広く提供され,そこまで人工知能技術に精通していない筆者のような研究者であっても,人間と自由に会話可能なロボットを容易に研究に利用できるようになってきた.
 大規模言語モデルのような人工知能技術を最新のヒューマノイドロボットに搭載していくことで,ドラえもんのように日常生活をともに過ごせるコミュニケーションロボットの開発も,もはや夢ではなくなってきた.人間とコミュニケーション可能なヒューマノイドロボットを扱う海外メーカは日々増えており,実際の市場の中で激しい性能競争や価格競争を繰り広げている.その結果,資本主義という砥石に磨かれ,ますます安価で,社会のさまざまな場所で活躍可能なロボットがこれから誕生してくるであろう.
 このような今の世の中のロボットをめぐる流れは,ワクワクすると同時に,研究者としては歯がゆい気持ちもある.八百万のモノコトに魂を見いだす伝統文化や,コミュニケーションロボットが登場するさまざまな魅力的なフィクションの発信地になっている日本は,人間と友達になれるコミュニケーションロボットの研究の最先端にいると思っていた.特に 2000年代初頭に,さまざまな魅力的なコミュニケーションロボットのコンセプトを日本企業や日本のアカデミアは打ち出していた.しかし現状では,アメリカや中国のような大国が,次々とロボットに関する革新的な新技術を日々発表し,すさまじい勢いでその社会実装を進めている.このような現状は,驚きと感動に満ちたものであるが,哲学的議論を抜きにどんどんロボットの機能が研ぎ澄まされていく現状は,筆者が学生時代に浸っていた「ふわふわした空気感」からはほど遠いものでもあり,少し寂しさも感じてしまう.

3.人間の反応に注目したヒューマンロボットインタラクション研究

 現状での世界的なヒューマノイドロボットの発展には圧倒される一方,まだまだ日本のヒューマンロボットインタラクションの研究には勝ち筋があると,筆者は考えている.20世紀の終わりから,日本の研究者達は,コミュニケーションロボットの研究に精力的に取り組んでいた.例えば,(株)国際電気通信基礎技術研究所(ATR)が開発した Robovieは,個人的には画期的なコミュニケーションロボットであった.世界的には機能性が重視されるロボット開発が主流であった当時,人間とのコミュニケーションを志向する Robovieのコンセプトは画期的であった. Robovieは単に技術的にロボットとして優れているだけではなく,それと交流する人間を対象とした社会実験の素材として非常に優れたものであった.例えば,Robovieを実際に小学生に一定期間設置し,子供達の反応を調べた研究結果は,心理学の実験室実験では得られないような生々しい人間の行動を捉えており,非常に興奮できるものであった.また,自分や娘と全く同じ外見のアンドロイドを突然つくり出し,それと触れ合った周囲の人間の反応を調べた大阪大学の石黒浩先生のアンドロイド研究は,「何の役に立つの?」という生真面目な疑問を脇に置けば,ただただ面白く,さまざまなインスピレーションや思考を引き出してくれる.
 コミュニケーションロボットという未知の存在と出合った人々は,さまざまな興味深い反応をする.このような反応を実験的に調べる研究は,今でこそ世界的に広くなされており,下記のような国際会議も多数存在している.

 そんな中でも,人間がインタラクションする対象をロボットに限定せずに,さまざまな主体をもったエージェントとのインタラクション(関係性)を扱う HAIに関する国際会議は,日本人の研究者達によって立ち上げられ,現在は世界中から研究者が参加する規模の大きな会になっている.
 以上のように,ヒューマンロボットインタラクションの研究分野の勃興は多くの日本人研究者がリードしてきた一方,現在ではヒューマンロボットインタラクションの研究分野は世界中の研究者が参加する一大領域になっており,単に人間とのインタラクションやアニミズム的考え方を扱っているだけでは,それが日本のお家芸であると言うには難しい状況ではある.しかしそのような現状においても,日本的な文化が新たなヒューマンロボットインタラクションの分野を切り開く素地があると,筆者は考えている.

4.弱さと湿り気のヒューマンロボットインタラクション

 日本の研究の面白い点として,人間のもつ「弱さ」や「湿り気」に寛容な点があると筆者は考える.例えば,岡田美智男先生が提唱する有名な「弱いロボット」のコンセプトは,あえて自立できないロボットと人間の関係性に注目している.このコンセプトは,個として自立することを良しとする欧米文化に対する見事なアンチテーゼとなっている.このような点からも,「弱いロボット」の研究は,機能追及を是とするロボット研究からは一線を画した,人間どうしの関係性の在り方についても問い直すユニークな哲学的提言となっている.
 また,成人が弱みを他者に無防備にさらす「自己開示」は,極めて湿った文化の表れだと筆者は考えている.自己開示は英語に訳すと self-disclosureという単語で表現され,心理学の領域において広く研究がなされている.しかしそれらの多くは,自分を開示することにより相手との信頼関係が築けるといった,コミュニケーション戦略(reputation management)の問題として扱われることが多かった.しかし近年の研究で,このような人間のコミュニケーション戦略を抜きにして,人間の自己開示を引き出す力がロボットにはあることがわかってきた.例えば,筆者が好きな研究として,ATRの塩見昌裕先生が行っている抱擁型ぬいぐるみロボット Moffuly(モフリー)の研究がある.この研究は,巨大なぬいぐるみロボットに抱擁されたり,頭を撫なでられた人間の自己開示が促進するという内容である.筆者らの研究でも,人間がロボットに人間相手にはしないさまざまな語りを行うことを示唆するデータを得ている.最近の(株)電通の調査においても,今の若者にとって,人工知能は深い話を共有する存在として高い市民権を得ていることが示唆された.
 ロボットに自己開示をしたところで実益は何もない.それでもロボットは,普段自分が喋れないさまざまな想いを吐露してしまう人間の湿った感情を受け止める器になれるのかもしれない.このような湿った人間の心理に注目した国際的な研究はまだまだ少ないように思える.むしろ,成人が大きなぬいぐるみロボットから抱きしめられたり,頭を撫でられたりすることは幼いと一部の西洋文化では考えられてしまうおそれもあり,逆にそのような幼さに寛大な日本文化だからこそ,独自のロボットへの自己開示研究が生まれたのではないかとも思っている.
 さらに筆者は,「レンタルなんもしない人」という SNSを通じて広まった日本の人物に注目している.従来,人間が他者に助力を頼むときは,何らかの目的や意図があって依頼をする.しかし,レンタルなんもしない人は,何もしないでただ依頼主の傍にいるだけである.それにもかかわらず,さまざまな人がレンタルなんもしない人に依頼を行い,そのサービスの素晴らしさを SNS上で拡散している.レンタルなんもしない人に人々が依頼する代表的な理由として,人間は本来的にいろいろとやってみたいことがあるが,社会規範や周囲の目から,そういう行動に一人では踏み出せないでいる点があげられる.そんなときに,何もこちらに干渉しない他者が傍にいてくれることで,「自分は一人ではない」という感覚を得ることができ,さまざまな新しいことにチャレンジできるのではないか,というのが,レンタルなんもしない人が提供する代表的な価値である.筆者は,このレンタルなんもしない人からインスピレーションを得て,ロボットデザインの独自のコンセプト(なんもしないロボット)を提案している.すなわち,従来のロボットは何らかの機能性が付与されることが多かった.それに対して,なんもしないロボットがただ傍にいて一人ではない感覚を提供してくれるだけで,人間はさまざまなチャレンジに挑戦できるのではないか,というコンセプトである.この「なんもしない存在」に傍にいてもらいたい,という発想も,自立を良しとする欧米的な価値観にはない人間の「湿り気」に焦点を当てた発想である.

5.おわりに

 本来,「欧米的」と「日本的」というおおざっぱな対比はあまりすべきではないと考える.しかし本稿ではあえて,従来のヒューマンロボットインタラクションに別の視点をもち込むために,「日本的」や「湿り気」にこだわった論考を行ってきた.とかく,工学分野においては,機能性が重視された「乾いた」アプローチがとられることが多い.しかし,それらの「乾いた」アプローチだけでは触れられない人間の「弱さ」や「湿り気」をロボットのテクノロジーで満たすことができたら,そこに新たなヒューマンロボットインタラクションの研究や産業の土壌が生まれるのではないかと筆者は考えている.
 このような「湿った」アプローチはけっして日本人だけのものではない.ロボットにネガティブな一面をさらしてしまう,という筆者らの研究は,海外のメディアに取り上げられたこともある.前述のレンタルなんもしない人は,近年は海外のメディア(The Japanese man who gets paid to ’do nothing’)でも取り上げられている.最近では,OpenAI社がチャットサービスで提供する大規模言語モデルのバージョンを GPT-4oから機能的により優れている GPT-5にアップデートしたところ,世界中でより心に寄り添ってくれた 4oに戻すようにという keep4o運動が立ち上がった.世界的な俳優であるクロエ・グレース・モレッツはインタビューの中で,一人でいることは本来とても大切だが欧米社会はそれを許してくれないと語っている(クロエ・グレース・モレッツに密着─東京が好きな理由,愛犬,行きつけの寿司屋を公開.|24HoursWith|VOGUE JAPAN).「弱さ」や「湿り気」は文化や人種を問わず,すべての人間に共通なものであれば,そういうものにフォーカスを当てたロボットは世界的にも大きな市場があると思われる.また,そういう潜在的な欲求をロボットを通じてより顕在化していくことで,社会や文化の新たな在り方についての議論も深まるかもしれない.
 前半で述べたように「乾いた」機能だけに注目すると,現在のヒューマノイドロボットの発展はすさまじい.研究者目線では,そういう急激な発展にしばしば焦ってしまうが,あえてより「湿った」人間の心に突っ込んだ研究や議論を淡々と行っていくことで,新たなブルーオーシャンが見つかるかもしれない.そういう議論を行っていくためには,何でもかんでも効率や業績で考える生き急いだやり方だけではなく,若者にワクワクを提供する(筆者が学生時代に堪能させてもらった)「ふわふわした学問の空気」というものも必要になるのかもしれない.
 品行方正で優しい出木杉ではなく,弱さやダメさの集合住宅であるのび太がなぜドラえもんの主人公なのか? なぜグダグダののび太は多くの人達の心を打つのか? そんなことを考え続けることで,真に人に優しいドラえもんのようなロボットをつくり出す糸口が見つかるに違いない,そう筆者は信じて今日もマイペースに研究を行っている.