【記事更新】私のブックマーク「認知バイアス・ヒューリスティック:意思決定科学から見る人間らしさ」


私のブックマーク

認知バイアス・ヒューリスティック:意思決定科学から見る人間らしさ

本田秀仁(安田女子大学心理学部)

はじめに

今回,紹介させていただくのは人間が行う判断や意思決定を扱う分野である意思決定科学です.私のベースとなっている研究のバックグラウンドは認知科学や心理学です.今回は,意思決定科学分野の認知科学・心理学研究が明らかにしてきた知見,人間らしさを知る上で重要なヒントを与えてくれる点,ならびにそれらと人工知能研究の関連性について述べたいと思います.

判断・意思決定時に人間が見せる認知バイアスについて

意思決定科学では,「私たちの行う判断や意思決定は合理的なのか?」という点について検討することが非常に重要なテーマであり,多くの研究者が判断や意思決定の”合理性”について考えます.その際,合理的な判断や意思決定の基準として,論理や確率論がしばしば用いられます.つまり,人間が論理的に考えて無矛盾な意思決定を行なっているか否か(e.g., 二つの選択肢のうち好きな方を一つ選ぶという意思決定において,選択肢A・Bが提示された場合はBを選び,選択肢B・Cが提示された場合にCを選ぶならば,選択肢A・Cが提示された場合にCを選ぶという推移律を満たした意思決定を行う),あるいは確率論から考えられる規範的な解答と一致した判断を行なっているか否か(e.g., 事象A, Bがあり,確率的にはAのほうが発生する確率が高い場合,人間も事象Aが起こりやすいだろう,と判断する),こういった視点から人間の判断や意思決定の合理性が分析されます.そして,もし論理や確率論から逸脱するような現象が観察された場合,それは人間が見せる非合理的な判断や意思決定と考え,またそのような判断や意思決定は認知バイアスと呼ばれます.人間が見せる判断や意思決定の非合理性,または認知バイアスに関する研究は, D. Kahneman [1]A. Tversky [2],2人の心理学者が牽引してきました.特にD. Kahnemanは一連の研究が評価され,2002年にノーベル経済学賞を受賞しました(A. Tverskyは1996年に亡なったために,受賞できませんでしたが,存命していればKahnemanと一緒に受賞しただろうと言われています).判断や意思決定にまつわる認知バイアスについては,Kahnemanの本[3]が詳しいです(留意点として,近年,心理学研究における再現性についてしばしば議論になりますが,この本で取り上げられているいくつかの研究についても再現性が疑問視されています.Kahnemanも妥当性があまり高くない研究に対して信頼を置きすぎたことを認めているようです.詳細はこのページ[4]を参照のこと).

人間が使うヒューリスティック(経験則)

認知バイアスの研究で最も研究されてきたトピックの1つがヒューリスティック[5]です.意思決定科学の分野では,ヒューリスティックという用語は判断や意思決定の際に人間が用いる経験則のことを指します.例えば,知らない街でランチに行こうとする場合(しかも,たまたまスマホを忘れてしまい,食べログなどで調べることができない状況とします),店の混み具合から味の良し悪しを予想します(混んでいる店は美味しいのかな、と思いますし,逆に,ランチの時間であるにも関わらずガラガラだとそのお店の味は大丈夫なのか,と不安になったりします).このような経験則(”混んでいるお店は味がよいに違いない”)は大抵正しいのですが,時には系統的な誤りを生み出します.例えば,私たちは,頻度や確率を判断する際にAvailability heuristic [6]を用いていると言われています.このヒューリスティックでは,「思い出し易いものは確率や頻度が高い」という経験則的な判断を行います.このような判断は基本的には正しいと考えられます.実際によく起こるようなこと,つまり確率や頻度が高いことを,私たちはよく目にしたり聞いたりするでしょうし,またそのようなことは思い出し易いと考えられます.しかし,ここで考えなければいけないのは,テレビ・新聞・インターネットをはじめとするメディアと私たちの思い出し易さの関係です.メディアがしばしば扱うようなことを私たちはきっと思い出し易くなるでしょう.もし,メディアが世の中で生じるている事柄について,頻度や確率に忠実な形で取り上げて伝えているのであれば,「思い出し易さ」に基づく頻度・確率判断はかなり正確になるのでしょう.しかしメディアの取り上げ方には偏りがあり,興味・関心を引くような内容はメディアに取り上げられやすいと考えられます.例えばショッキングな事柄はニュースでは取り上げられやすいです.具体例としては,飛行時事故が生じた時は,メディアは大々的に取り上げます.そして,内容がショッキングであることが多く,私たちの印象に残り易いです.結果として,「飛行機は危ない乗り物」と判断されやすく,さらには「移動は地上のほうが安全」という人が現れます.つまり,飛行機のほうが事故に遭遇するリスクが高いと判断をしていることになります.しかし飛行機に乗って事故に遭遇する確率は,自動車に乗って事故に遭遇する確率よりも圧倒的に低いことが知られています(同じ事象として扱っていいのかやや難しく,単純な比較の妥当性が残りますが,妥当と考えうる仮定のもとで算出した場合).このように,思い出し易さに基づいて頻度や確率判断を行うと,誤った判断に至るケースがあります.有名な例の一つですが,これ以外にも人間が用いているヒューリスティックによって生じる認知バイアスの性質について様々なことがわかっています(その他のヒューリスティックが生み出す認知バイアスの例については[5]を参照してください).

ヒューリスティックに基づく判断や意思決定は,上で述べたように,大抵の場合は正しいと考えられます.つまり,人間が用いる経験則は,私たちが適応的で正確な判断を素早く,また簡便に行う方法であると考えられます.ヒューリスティックが持つ適応性,正確性については,ドイツのマックスプランク研究所のG. Gigerenzer [7]がDirectorとして率いていたCenter for Adaptive Behavior and Cognitionの研究[8]が非常に有名です.また,R. Hertwig [9]がDirectorとして率いるCenter for Adaptive Rationality [10]の研究グループも多くの知見を発表しています.2つの研究グループの成果で最も有名なものの一つがRecognition heuristic [11]に関する研究です.例えば,「呉市と庄原市,どちらのほうが人口が多いでしょうか?」と聞かれたとします.この時,「呉市のことは聞いたがことあるけど,庄原市のことは聞いたことがない.呉市のほうが人口が多そうだ」,このような推論をする人が多いことが知られています.Recognition heuristicとは「聞いたことがある」ということを手掛かりとして推論する経験則です(人口数の推論では,”聞いたことがある都市のほうが人口が多い”と推論する).この経験則は,人口数という地理が好きな人でなければ知らないような事柄を推論する際や,スポーツの試合に関する予測(例えば,サッカーの試合でどちらのチームが勝つか)する際に利用されることが多く,さらには,かなり正確な推論や予測に至るストラテジーであることが示されています.

私たちはありとあらゆる情報を記憶したり,保持することが(少なくとも,意識されるレベルでは)不可能ですし,またできる計算も限られています.このような状況で,人間は様々な判断や意思決定を行わなければならず,その中で可能な限り,正確で適応的な判断や意思決定を行おうとする,それが人間が用いるヒューリスティックです.

おわりに:”人間らしさ”を知ることができる人工知能研究と意思決定科学研究

今回は,ヒューリスティックを中心に紹介しましたが,人間の判断や意思決定には非常に独特な特徴が存在しており,多くの研究で明らかにされています.その独特の特徴に関して,TverskyやKahnemanのように非合理性について議論することもあれば,GigerenzerやHertwigのように,合理性について議論することもあります.これらの議論の中で述べられている人間が行う判断や意思決定の特徴は,良くも悪くも”人間らしさ”を反映していると考えられます.

近年の急速な人工知能研究の発展の中で,人間と人工知能の知性が様々な視点から比較されます.「人間は・・・では人工知能に負ける」,「人間の・・・は,今後も人工知能に越えられることはないだろう」このような議論を頻繁に目にします.このような議論は,突き詰めると,人間の”知性”のどういった点が優れているのか,あるいは優れていないのか,というような議論をしているとも解釈できます.冒頭で,判断や意思決定の合理性が意思決定科学の重要な研究テーマであることを述べましたが,この議論は,人間の判断や意思決定のどういった点が理にかなっているのか,あるいは理にかなっていないのか,という議論です.私は,人間の知性に関する人工知能研究の議論と人間の判断や意思決定の合理性についての意思決定科学の議論は非常に類似していると思っています.特に,人工知能研究では機械的な計算では説明できない人間の知性の特徴が明らかになりますし,また意思決定科学の研究では論理や確率論からは説明できない人間の判断や意思決定の特徴が明らかになります.これらはともに,”人間らしさ”を知ろうとしている研究領域と言えるのではないでしょうか.

人工知能研究に携わる研究者の方々は,それぞれがメタレベルで何らかのテーマを持っているはずです.「人間らしさ」ということに興味を持たれている人工知能研究者の方は,意思決定科学研究は参考になる点が多いのではないかと思います.

最後に,判断や意思決定に関する専門書や書籍,学会などの情報について紹介したいと思います.

判断・意思決定を専門に扱った学術論文

これらには,主に行動実験に基づく研究が掲載されていますが,数理モデルや計算モデルに基づく理論的視点からの研究も多数掲載されています.一方で,ニューロエコノミクスのような,意思決定時の脳活動を調べるような研究はあまり掲載されていません.

判断・意思決定を専門に扱った専門書

判断・意思決定の研究の様々なトピックのレビューがまとめられています.関連するトピックの研究を始める際に,大変参考になります.

学会
  • Society for Judgment and Decision Making (SJDM)[18]
  • アメリカの判断・意思決定学会です.毎年,11月中旬に北米で年次大会が開催されます.年次大会には意思決定科学分野の著名な研究者はほぼ揃います.例えば,2017年の大会にはちょうどその年のノーベル経済学賞を受賞したR.Thalerも参加しており,ノーベル賞受賞記念のセッションが開催されていました.

  • European Association for Decision Making (EADM)[19]
  • ヨーロッパの意思決定学会です。2年に一度のペースで,8月にヨーロッパでSPUDM(“Subjective Probability, Utility, and Decision Making”の略)という大会が行われています.こちらの学会にも,意思決定科学分野の著名な研究者がほぼ揃います.

関連するweb page:InDecision[20]

判断や意思決定研究に関わる若手の研究者,実務家によって管理されているブログです(2016年の2月が最後の更新ですので,最近はあまり更新されていないようです).この中にある,“Research Heros”では,意思決定科学分野での著名な研究者のインタビュー記事が掲載されていて,カジュアルな内容(e.g., 「今までやってきた研究の中で一番よかった研究は?」,「今までやってきた研究の中で最もわるかった研究は?」)が多いです.著名な研究者がどのような想いを持って研究を行ってきたのかがわかり,大変興味深い話を読むことができます.

謝辞

本記事の執筆にあたり,コメントをいただきました,東京大学の藤崎樹さんと白砂大さんに深く感謝申し上げます.

[1] https://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Kahneman
[2] https://en.wikipedia.org/wiki/Amos_Tversky
[3] https://en.wikipedia.org/wiki/Thinking,_Fast_and_Slow
[4] https://retractionwatch.com/2017/02/20/placed-much-faith-underpowered-studies-nobel-prize-winner-admits-mistakes/
[5] https://en.wikipedia.org/wiki/Heuristics_in_judgment_and_decision-making
[6] https://en.wikipedia.org/wiki/Availability_heuristic
[7] https://www.mpib-berlin.mpg.de/en/staff/gerd-gigerenzer
[8] https://www.mpib-berlin.mpg.de/en/research/concluded-areas/adaptive-behavior-and-cognition
[9] https://www.mpib-berlin.mpg.de/en/staff/ralph-hertwig
[10] https://www.mpib-berlin.mpg.de/en/research/adaptive-rationality
[11] https://en.wikipedia.org/wiki/Recognition_heuristic
[12] https://onlinelibrary.wiley.com/journal/10990771
[13] https://www.journals.elsevier.com/organizational-behavior-and-human-decision-processes
[14] http://www.sjdm.org/journal/
[15] https://www.apa.org/pubs/journals/dec/
[16] https://www.wiley.com/en-us/Blackwell+Handbook+of+Judgment+and+Decision+Making-p-9781405107464
[17] https://www.wiley.com/en-us/The+Wiley+Blackwell+Handbook+of+Judgment+and+Decision+Making%2C+2+Volume+Set-p-9781118468395
[18] http://www.sjdm.org/
[19] http://eadm.eu/
[20] https://indecisionblog.com/