Vol.23 No.2 (2008/3) 文脈依存的なユーザ行動の分析


私のブックマーク

文脈依存的なユーザ行動の分析

杉原太郎(北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科)

1. はじめに

計算機やネットワークの成長と情報分野の研究の発展により,人が知識処理するための基本的なインフラは整いつつある時代にある.今後は,より高次な知的活動である知恵を支えるために,様々な技術開発や研究が行われていくものと考えられる.

この流れを形作るための研究テーマはいくつか考えられるが,そのひとつが形が無く,複雑な事物を計算機で処理したり,支援したりすることを目指すものであろう.もちろん,これまでにもユーザビリティや感性情報学といった,この条件に当てはまる研究分野は存在している.しかしながら,これらの研究の主流派は,諸条件が統制された実験室内でシステム評価をするものであり,現場に織り込まれ,絡み合った複雑な文脈とは切り離されてきた.ところが,サービスやヒューマンエラー,スキル・知識伝承,リスクコミュニケーションといったテーマの場合,問題を単純化し,実験的に評価するだけでは,真に有用性のあるシステムやインタフェースが構築できないのではないだろうか.このようなシステム作りを行うためには,事前にユーザ行動がどのような文脈で行われているのかを調査しておく必要がある.

ここで述べたいのは,これまでの方法論で編み出されてきた新規なシステムを否定することではなく,文脈を考慮したシステム開発のためには,目的に応じて定性的調査・分析と,実験とその分析手段としての統計・多変量解析を適切に使い分ける,あるいは戦略的に組み合わせて使用することが必要ということである.

本稿ではこのような問題意識に立ち,文脈依存性のあるユーザ行動分析のために必要と考えられる基本的なリソースを紹介したい.もちろん,広く深い先行研究の全てを網羅し,掲載することはできない.そこで,人工知能とのかかわりがあると考えられる研究とその基礎となる分野に力点を置き,紹介をしていく所存である.なお,この企画記事で扱う内容の一部はこれまでに掲載されてきたものとオーバラップするため,以前に掲載された情報は最小限にとどめることにしたい.

2. 人文・社会科学系のリソース

前章でも述べたとおり,システムやインタフェースを評価する際には実験の手法が採用されることが多い.これは,事象の因果関係を明らかにする意味においては,非常に有効な手段である.一方で,人間の行動の多くは文脈依存的であるため,使いやすさや役に立つかどうかは,対象とする場や個人によって異なってくる.

このような場合に使用される手法は,参与観察や面接といった定性的調査法である.この手法は,社会学や文化人類学,心理学,教育学などで長く使用されてきた方法であり,これらの論文誌に掲載された論文が参考になる.これらに掲載される論文は,直接人工知能やHI研究に関わるものは少ないが,科学技術に関連する特集が組まれることがある.例えば日本文化人類学会では,その機関誌である「文化人類学」第71巻4号において「科学技術の人類学」という特集がある.さらに,2005年からは,Ethnographic Praxis in Industry Conference (EPIC)と名づけられた国際会議が始まり(EPIC2005),企業内の活動に対する調査が報告されている(EPIC2006EPIC2007).HI学会でも2006年に「人の活動データを設計・工学研究に活かす-質的データ(エスノグラフィ)、量的データとペトリネット、行動エントロピー-」と銘打たれたセミナーが開催されたり,情報処理学会ソフトウェアジャパン2008 において「ビジネス・エスノグラフィ入門」が行われたりするなど,現在は人の行動を理解するために定性的な調査法や分析法に光が当てられている時代になりはじめたと考えられる.

もちろん,定量データを扱う研究にも参考になるものが多い.例えば,日本社会心理学会の論文誌である「社会心理学研究」では,Computer-Mediated Communication(CMC)やオンラインゲームに関する実験報告が増えてきている.

理想的な方法は,Journal of Mixed Methods Researchで扱われているように,定量的調査や実験と定性的調査の強みを計画的に組み合わせてデータを獲得することであろう.しかし,システムを構築することも求められることが多い人工知能分野では,単独の研究者が両方の方法論を学ぶことは難しいので,専門家同士の分業という方法が妥当な戦ではないだろうか.他には,システムを作成する研究者とシステムを評価する研究者という組み合わせも考えられる.

他には,
Academy of Management
人間工学会
International Ergonomics Association
日本認知科学会
The Cognitive Science Society
日本心理学会
日本社会学会
日本質的心理学会
日本社会教育学会
日本社会情報学会
科学技術社会論学会
の各学会の論文誌やプロシーディングが参考になる.

海外ジャーナル全てを網羅できないが,心理学系では,American Psychological Association(APA)Journalsに著名な論文誌が載っている.The International Sociological Association (ISA)International Union of Psychological Science (IUPsyS)から捜すのも良いだろう.

個人が作成しているデータベースでは,二木氏のARIADNE – Resources for Arts & Humanities後藤氏国内人文系研究機関WWWページリスト国内言語学関連研究機関WWWページリスト,立岩氏らが数名で管理しているarsvi.comが参考になる.

人工知能やHI研究に直接関連のある質的研究には,認知科学第7巻に特集が組まれた分散認知がある.この分野の第一人者であるEdwin Hutchins氏のサイトに論文が公開されている.他にも,重要なテーマに状況論などがあるが,紙幅の都合で割愛する.
なお,本稿では人間の特性を調べるためのもののみに焦点を当てているので,併せて人間と人工物のインタラクションヒューマンインタフェースも参照されたい.

3. 適用される分野

3.1 サービスサイエンス

近年,IBMのアルマデン研究所が立ち上げたと言われているサービスサイエンスと呼ばれる研究分野が立ち上がりつつある.サービスサイエンスとは,Service Science, Management and Engineeringを縮めた呼称である.ACM(Comms of the ACM, Vol. 49, Issue 7)やIEEE CS(Computer, vol. 40, no. 1),情報処理学会(情報処理,Vol.47 No.5),そして本学会(Vo.22 No.6)において企画記事が掲載されたり,フォーラム(例えば,情報処理学会のソフトウェアジャパン2008サービスサイエンス フォーラム)などのイベントが開かれたりしていることからも重要性の高まりがうかがい知れる.官公庁に目を向けると,文部科学省サービス・イノベーション人材育成推進プログラムを開始したり,経済産業省サービス産業の生産性向上に資する製造業のノウハウに関する調査研究報告書を発表したり,平成19年度「サービス産業生産性向上支援調査事業(サービス工学研究開発分野及びサービス工学適用実証分野)」を行ったり,総務省統計局サービス統計整備研究会をスタートしたりと,各省庁がサービス業の振興のために動き始めているのが分かる.

サービスを提供するフェーズには,誰しも均一に提供することを目指す種類のものと,即応的・即興的にユーザに供与するテイラーメイドな種類のものがあると考えられる.後者のサービスを提供しようとした場合,文脈を考慮することが必要となろう.また,テクノロジーの観点から眺めてみると,ICT技術を基盤としたサービスなのか,それを使用せず現場に密着したサービスを指向するのかによって調査や実験,分析方法が変わってくる.

この分野は,今現在急速に進展しつつある(emergingな)分野であるため,統一的な学会は存在しない.国際会議としては,Frontiers in Service Conferenceや,Academy of Management, Technology and Innovation Management Division (AOM-TIM)Portland International Center for the Management of Engineering and Technology (PICMET)において研究発表が行われている.論文誌には,Journal of Service ResearchInternational Journal of Service Industry ManagementJournal of Services Marketingなどがある.

経営学と関連が深いため,
Academy of Management Journal (AMJ)
Academy of Management Review (AMR)
Administrative Science Quarterly (ASQ)
Harvard Business Reviewハーバード・ビジネス・レビュー),
International Journal of Technology Management
IEEE Transactions on Engineering Management
Journal of Engineering and Technology Management
Journal of Product Innovation Management
Knowledge, Technology, & Policy
Management Science (MS)
Organization Science (OS)
R and D Management
Research Policy
Research Technology Management
Technovation
経営行動科学学会
研究・技術計画学会
科学技術と経済の会
組織学会
日本経営学会
日本MOT学会
といった学会の会議や論文誌もサーベイ対象となり得る.

さらに,経営情報学(MIS Quarterly経営情報学会日本情報経営学会),マーケティング・小売(Journal of MarketingMarketing ScienceJournal of Retailing日本行動計量学会日本消費者行動研究学会日本マーケティング・サイエンス学会),商品の付加価値や受容性を高める視点からは感性工学(日本感性工学会)なども関連がある.

3.2 その他の分野

本節では適用できる分野として,今後急速に重要性が高まるであろう高齢者介護支援に着目して紹介する.

高齢者(その中でも特に認知症患者)の介護について調査や実験を行う場合,個人差の影響を若年者や健常者より考慮しなくてはならない.高齢者の場合は,生い立ちが異なるためにそれぞれが有するメンタルモデルが異なると予想されるし,病気の症状の現れ方はひとそれぞれであるからである.母集団の特性の平均モデルを求めることに主眼が置かれた実験や定量調査のみでは,この現象に対応しがたい.ここでもやはり,文脈を考慮した,あるいは文脈に埋め込まれたシステム開発が望まれる.

高齢者や介護者に焦点を当てたものとしては,日本介護福祉学会日本福祉心理学会などに関連研究がある.システム側を中心に扱う学会や研究会としては,電子情報通信学会の福祉情報工学研究会(WIT)が活発に活動しており,HI学会研究会で定期的にこの分野のトピックが扱われる.加えて,HI学会の専門研究会であるアクセシブル・インタフェース専門研究会 (SIGACI)共生システム専門研究会 (SIGCOM)日本福祉介護情報学会でも介護や福祉関連の研究発表が行われている.

介護の情報サイトでは,WAM NETに介護に関する多くの情報が掲載されている.民間のサイトとしては,東芝けあコミュニティが充実している.また,厚生労働省統計表データベースシステム総務省統計局などの各種データも活用されたい.

高齢者介護支援以外では,知識やスキル伝承・学習,リスクコミュニケーション,Web分析の各分野の一部などでも文脈依存性を考慮したユーザ行動分析を行うことで,より高質のシステム・IF開発が可能となるであろう.これらについては,いずれこの企画で扱われると期待したい.

4. おわりに

本稿では,文脈依存的なユーザ行動の分析のためのリソースを紹介した.ここで述べたことは,特段目新しいものではない.定量的調査と定性的調査の関係については古くから述べられてきたし,文献・書籍も多い.著名なデザインファームであるIDEOは製品開発に際して,人類学者を活用してきた.ただ,経営系の講座に身を置くようになって企業の方から様々なお話を伺う機会が増える内に,現場に潜む数値で計測できない何かの存在を意識するようになったことと,学問分野全体でもう少し定性的調査・分析に目を向ける必要性を感じたため,なけなしの知識を絞ってキーボードを叩いた次第である.人間と向き合わうことによって,ユーザ,ひいては社会により良い影響を与える研究が行われるであろう.そのために,各々の研究分野を尊重し,協働することが当たり前になる時代が来ることを期待したい.

自分なりに努力して調べたつもりではあるが,膨大な学のリソースから漏れがある可能性は否定できない.もし,そのようなことがあった場合は,全て著者の責任によるものである.

謝辞

本稿を執筆するに当たって,北陸先端科学技術大学院大学の吉永崇史氏と中村孝太郎氏,同修了生の藤原哲郎氏から情報の提供を受けたり,日常の議論の中から多くの示唆を頂戴したりした.ここに記し,謝意を表す.