1. はじめに

2021年2月15日、オンラインで人工知能学会 倫理委員会主催で「AI研究コミュニティのダイバーシティ&インクルージョン」シンポジウムを開催しました。
人工知能学会倫理委員会はAIと社会の界面で生じるテーマを中心に、シンポジウムやイベントを開催してきました。倫理委員の江間有沙による開会の挨拶では、倫理委員会が2020年1月9日に開催した「機械学習と公平性に関するシンポジウム」に触れながら、AIの公平性を考えるうえでの多様性と包摂性の重要性に言及しました。AI技術そのものの公平性や、社会的な不平等などの問題がある中で、AI開発者である研究者コミュニティの多様性や包摂性に着目することは非常に重要です。
本イベントの企画者でもある編集委員会委員長の清田陽司氏の趣旨説明では、まず、会誌「人工知能」2020年9月号の特集「ダイバーシティとAI研究コミュニティ」が紹介されました。本特集では、ジェンダー(性別・LGBTQ)・国籍・AIエージェントへのキャラクタ付与など、ダイバーシティに関わるさまざまな課題についての7編の記事が掲載されています(現在、すべての記事がJ-STAGEで無料公開されています)。ライフイベントや環境の変化によって、突然、自分自身がマイノリティの立場に置かれることもあります。清田氏は多様性と包摂性の問題はすべての人にとって「自分事」と捉えてほしいと話しました。

2. 話題提供

2-1「女子大学におけるIT産業への進路事例」伊藤貴之氏

お茶の水女子大学理学部情報科学科の伊藤氏からは、お茶の水女子大学におけるIT企業への進路事情に関する調査が紹介されました。情報系学部の場合、男子が8~9割というのが一般的であり、そのような環境で大学生活を送ることへの不安を感じる女子学生は非常に多いことが示唆されました。これが場合によっては情報系を志す女子学生の足かせになっている可能性があると伊藤氏は指摘します。在学中の日々についても同様であり、ハッカソンや競技プログラミングなどのイベントに対して女子限定の環境で最初の一歩を踏み出すことを望む女子学生も多く、その環境づくりが有効になります。就職活動においてもライフイベントへの柔軟な対応ができる業界であるかが重視されるなど、情報系業界への対応も求められています。
次に、特集号にも書かれたAI研究コミュニティへの提言に言及されました。まずは高校生へのアプローチを行うこと、AI研究分野が総合領域であるということをアピールすること、就職に関しては個別マッチングなどをすること、非情報系の学生へもアプローチすること、そして女性コミュニティを組織内で継続的に構築すること、です。
最後に、特集号の執筆後に考えられたこととして2点挙げられました。まず、進路選択基準の多様性を尊重することです。大学生は必ずしもすべての人が「何をしたいか」で進路を選んでいるわけではなく、ライフワークバランスなど他の要素も重視されます。次に、理工系は他の分野と比べて研究開発拠点に人を集める傾向が強いため、勤務地の選択の幅が狭いということを問題視されました。この特徴が理工系に対して女性が敬遠しがちな要素となる可能性が懸念されます。業界の未来を考えたときに、ジェンダーダイバーシティを目指すことは重要であり、構造的な改革を行っていくことも重要であるとして発表を締めくくられました。 

2-2 「ダイバーシティを受け入れる社会へ:女性研究者のリアル」坊農真弓 氏

続いて国立情報学研究所の坊農氏が、研究者生活と出産や育児にまつわる体験談をご発表されました。坊農氏は本テーマについて記事をいくつも執筆されており、その内容は不妊治療、妊娠、産休やコロナ渦における女性研究者の働き方など多岐にわたります。後に続く女性研究者たちの励みや参考となればという観点で個人的な体験を積極的に公開されており、実際に記事のアクセス数も圧倒的な多さを誇っています。
坊農氏は博士号取得後、ポスドクを経験し、31歳で国立情報学研究所の助教(5年の任期付き)に着任されました。初年度にJSTさきがけに採択され、次の年に妊娠、出産。5か月の出産育児休暇を取られました。助教の任期満了の5年後に再び5年の任期付き准教授に着任されました.その後、任期なしのポストに着くまでと先延ばしにしていた第二子の計画を開始されましたが、第二子不妊の問題に気がつきます。タイミング療法、人工授精などを試みるも授からず、また単身子連れ在外研究のため、1年間の治療中断などがありました。帰国後、体外受精にステップアップし、採卵のための10日連続のクリニックでの注射、自宅での自己注射、子宮内内視鏡、複数回の採卵、移植、投薬、漢方等の治療・検査を経て、2019年に第二子をご出産されました。第二子を望んでから、5年の時間がかかったそうです。しかしながら,その間も研究活動は続けられ、治療との両立に苦労されたそうです。
発表の中で坊農氏は、女子学生や女性研究者がキャリアを積んでいくことと、妊娠・出産・育児のタイミングが重なっていることを指摘されました。そしてこの事実に女子学生や女性研究者が気づける環境、さらにはそれに対する周囲の支援の必要性を指摘されました。
女性の肉体的な問題を公に議論できるようになるためにも、研究者の活動や「当たり前」の改革が必要性です。コロナ渦では、対面で開催されていた研究会や学会がオンラインでも配信されることによって、情報へのアクセスが格段に上がりました。現在、情報処理学会では坊農氏が委員長をされているInfo-WorkPlace委員会が、いろいろな事情で学会の全国大会に参加できない人に情報を提供する企画(「お届けInfo」)を行っています。坊農氏はご自身がコミュニケーションやアクセシビリティの研究をされていることもあり、困難な状況や立場にいる研究者でも、論文投稿をはじめとする研究活動にアクセスしやすくなる等、様々な選択肢がある環境作りが重要であると話を締めくくられました。 

2-3 国際学会におけるダイバーシティ&インクルージョン-IEEE WIE の活動を通じて- 橋本隆⼦氏

最後に千葉商科大学の橋本氏からIEEE(米国に本部を置く世界最大の電気・情報系学会)のWomen in Engineering (WIE)の活動を中心として話題提供いただきました。橋本氏はIEEEのJapan Councilの会長、同じくComputer Society Board of Governorもされています。また2015年-2016年はWomen in Engineeringの会長も務められました。
IEEEには約42万人の会員が160カ国以上から参加しています。IEEE全体におけるジェンダー比率は7割男性、13.7%が女性で残りがunknownです。しかし日本のみを見ると、女性は4%、unknownが11.74%で8割以上が男性と、女性の比率は低くなっています。
IEEEのBoard of Directors(理事会)は32名から構成されますが、現在女性は9名で全体の3割弱くらい、橋本氏の所属するComputer SocietyのBoard of Governorsは女性が13名(全体割合45%)です。また、かつてはゼロに近かったIEEEのテクニカルアワードなどでも近年は女性の受賞者が増えています。このような活動を支援しているのがWIEという組織です。理事会も賞も、そもそも応募段階で女性が少ないといった問題があるため、スタート地点での支援をしています。多様性というとジェンダーだけではなく地域も重要です。WIEへのアジアからの参加者は多く、55%(2万5千人)を占めています。アジアはインドやマレーシアをはじめとして工学専攻の女性が多いという特徴があります。日本でもWIEが2005年に設立、イベントやネットワーキングを行っています。
グローバルに活躍されている橋本氏は、他国と比較して日本は退職や育休が不利に働く傾向にある、年齢にとらわれがちなど、キャリア中断がしにくい社会であると指摘されます。ライフイベントに応じてワークとライフのバランスが取れる選択肢を増やしていくことが重要です。AIや情報学に期待することとしては、オンライン会議のように様々なツールを使うことでコミュニティの属性を多様化することが挙げられました。他の学問とも連携しながら一人一人の能力を生かす方向に組織や日本全体を持っていけたらよいと思うと話を締めくくられました。 

3. パネル討論

清田氏の司会のもと、話題提供者三名とのパネル討論が行われました。
まずはダイバーシティの低さによって生じる課題が議論されました。橋本氏は、構成員属性の多様性のなさによって、組織としての意見や発信にバイアスがかかり、想像力が欠けてしまうと指摘されました。坊農氏も、男性(マジョリティ)が盛り上がっている中に水を差しにくい場面やマイノリティとしての意見を求められても発言しにくい空気がある、そしてマジョリティがマイノリティにマイノリティとしての意見を直接求めるだけでなく,マイノリティのことを自ら想像する環境が必要とご自身の経験から指摘されました。また伊藤氏は、お茶の水女子大の学生がハラスメントを学外から受けることが多いという事例を紹介しながら、組織内のダイバーシティの低さから生じる問題だけではなく、異なる組織間でのダイバーシティへの対応も重要であるとお話されました。
次に女性が存在感を出していくためにどのような支援が必要かという質問がパネリストにされました。橋本氏は女性研究者が大変なのは承知の上で、一歩踏み出して様々な組織や賞に応募することの重要性を述べられました。伊藤氏はアメリカの情報系学科が予算をかけて女子学生の割合を増やしている事例を紹介されました。単身子連れ在外研究を行われた坊農氏は、会議の時間帯調整など、働き方の柔軟性を上げていくことが女性だけではなくすべての人のライフワークバランスを向上するだろうとご自身の経験から述べられました。
研究コミュニティに求められることとしては、オンライン会議など情報ツールの利活用をさらに進めていくことを橋本氏が提案されました。その際に、障害を持たれた方も使いやすいツールであることも重要です。坊農氏も、現在使われている画面共有型のオンライン会議ツールは、画像によって手話通訳も可能という点でアクセシビリティが高いとコメントされました。伊藤氏も、社会の様々な人たちのフィードバックを経てオンライン会議などのツールが先進的なコミュニケーション手段を提示するようになるだろうと期待を述べられました。
これを受けて司会の清田氏から、ダイバーシティの向上が新たなイノベーションを生むという観点が指摘され、橋本氏もこれに賛同されました。さらに多様性を尊重できる人材や組織でなければこの先、生き残ることは難しくなるだろうとも指摘されました。伊藤氏もお茶の水女子大が強みを持つ生活科学という分野において、家事や育児、介護分野にAIやIoT技術を組み込んでいく研究が行われていることを紹介され、多様な文脈からの発想の重要性を再確認されました。坊農氏も多様性を考えるときに女性だけではなく男性を含めたワークライフバランスへの意識が必要であると指摘しました。さらに、コロナを契機に開発された新たな仕組みや技術は、コロナ後も継続していくことで、社会を大きく変えていかなくてはならないとまとめられました。
最後に、AI研究コミュニティである人工知能学会が今後とるべき具体的なアクションについて議論されました。学会によっては行動指針を定めているところもあるほか、数値目標などの必要性も参加者から指摘されました。橋本氏は、女性だけではなく障害を持たれている方や海外の方など様々な属性の占める割合を最低3割を目標に高めることの重要性や、次世代へのアピールの重要性が提案されました。伊藤氏もオープンキャンパスなどの場を使って情報系のアピールをすること、学部生のうちから女性のコミュニティがあることの重要性が今日の議論でも繰り返し述べられていたと再確認されました。坊農氏は人文科学系出身でありつつも、キャリアを情報学で積まれているというご経験から、大学で人文科学に進学しても途中から情報学に入っていける道を示すことの重要性を指摘されました。 

4.終わりに

パネル討論を受けて、最後に倫理委員会委員長の武田英明氏が閉会の挨拶を行いました。武田氏は、AIの研究開発においてダイバーシティを必要とする世界的な潮流の中で、倫理委員会としてできること、人工知能学会や他組織との連携でできることは何かを今後模索していきたいと述べました。さらに、具体的なアクションの一つとして倫理委員会が設置したELSI賞を紹介しました。これは倫理や社会に関する課題に対して、AIに関わっている人や作品を表彰するという賞であり、学会としても今後ダイバーシティやインクルージョンに関連した人への受賞ができればと考えていると締めくくりました。

(文責:江間有沙)