【記事更新】私のブックマーク「文化進化(Cultural Evolution)」


私のブックマーク

文化進化(Cultural Evolution)

田村光平(東北大学学際科学フロンティア研究所)

はじめに

われわれをとりまく文化は多様で、かつめまぐるしく変化します。そして、狩猟採集をおもな生業とする伝統社会においても、われわれが暮らすような工業化社会においても、欠かすことのできない役割を果たしています。 こうした文化多様性の生成・維持・変化のパターンとプロセスを、進化生物学の理論や手法を援用して明らかにしようと試みる「文化進化(Cultural Evolution)」というアプローチが、近年盛んになっています。 文化の定義は無数にありますが、重要な視点のひとつが「伝達される」「継承される」ということです。 ここでは、「模倣などの非遺伝的手段によって伝達される情報」(Cavalli-Sforza and Feldman 1981)という文化の定義を採用しましょう。 文化の「継承」という性質に注目すると、文化の変化と生物の遺伝との間に、ある程度の類似性を見出すことができます。 例えば、継承されていく文化の間に生物のような系譜の関係を認めることができますし、同じく生物進化でも起こるように、さまざまな要因によって繁栄する系統もあれば消滅する系統も生まれます。 生物学における進化は、「集団中の遺伝的構成の時間変化」のことですが、これになぞらえて、「集団中の文化的構成の時間変化」を「文化進化」とよんでいます。 両者に共通する継承という性質を使うことで、同一の枠組みで取り扱うことが可能になるのです。

文化進化研究は、現在まさに発展しつつあり、かつ非常に学際的であるため、一貫した教科書や教育プログラムがないというのが現状です。 このブックマークが、文化進化について知るための一助となれば幸いです。

文化進化研究について知りたい!

書籍
Mesoudi, A. 2011. Cultural Evolution: How Darwinian Theory Can Explain Human Culture and Synthesize the Social Sciences. University of Chicago Press.
邦訳:野中香方子(訳)、竹澤正哲(解説)『文化進化論:ダーウィン進化論は文化を説明できるか』NTT出版
文化進化研究には、個人間の文化伝達の数理モデリング、集団レベルの文化系統樹の復元、はては動物における(萌芽的な)文化まで、幅広いトピックが含まれます。本書はその多くを広く紹介しており、現在の文化進化研究の様子を鳥瞰するには最適な本だと思います。
中尾央・三中信宏(2012)『文化系統学への招待』勁草書房
文化進化研究のなかでも、「文化系統学」にフォーカスした本です。文化系統学の研究が何を対象とし、どのようなことがわかるのかが紹介されています。
中尾央(2015)『人間進化の科学哲学:行動・心・文化』名古屋大学出版会
人間行動進化を扱うさまざまな研究プログラムをメタな視点から俯瞰した科学哲学の本ですが、文化進化に関する章があります。同時に人間行動生態学や進化心理学を扱った章もあり、こうした研究分野と比較して文化進化研究がどう違うのかを学ぶことができます。
Richerson, P. and Boyd, R. 2005. Not By Genes Alone: How Culture Transformed Human Evolution. University of Chicago Press.
文化進化の数理モデリングに長年取り組んできた著者たちが、彼らの主張のエッセンスを数式を使わずに解説した本です。Mesoudiの本よりも人類学的なトピックに比重が置かれています。

文化進化研究をやってみたい!

教科書
Cavalli-Sforza, L. L. and Feldman, M. W. 1981. Cultural Transmission and Evolution: A Quantitative Approach. Princeton University Press.
Boyd, R. and Richerson, P. 1985. Culture and the Evolutionary Process. University of Chicago Press.
この2冊は、今なお引用され続ける、文化進化のスタンダードな教科書です。現在の文化進化研究はこの2冊から始まったといえるでしょう。内容は数式多めです。また、進化生物学、とくに集団遺伝学のアナロジーが使われている部分が多いため、数理生物学の教科書を副読本として読む必要があるかもしれません。
Durham, W. H. 1991. Coevolution: Genes, Culture, and Human Diversity. Stanford University Press.
理論的な側面よりは、遺伝子と文化の共進化の具体例にフォーカスしています。
論文集
Lipo, C. P. et al. 2005. Mapping Our Ancestors: Phylogenetic Approaches in Anthropology and Prehistory. Transaction Publishers.
Mace, R. et al. 2005. The Evolution of Cultural Diversity: A Phylogenetic Approach. UCL Press.
Shennan, S. 2009. Pattern and Process in Cultural Evolution. University of California Press.
文化系統学に関する論文集です。Lipo et al. (2005) は生物学の手法を文化現象に適用するうえでの概念整理に置いているウェイトが多めです。 Mace et al. (2005) とShennan (2009) は、逆に具体的な人類学・考古学の課題解決に重きを置いています。
文化のデータベース
D-PLACE
文化進化研究でよく使われる民族誌データを公開しています。文化要素を言語系統樹上にマッピングするなどの、簡単な解析機能も備えています。
Seshat
世界中のさまざまな地域の歴史データを大量に集積し、社会の興亡などのさまざまな歴史ダイナミクスを明らかにするを目的としたプロジェクトです。
その他
The AnthroTree Website
Nunn, C. The Comparative Method in Evolutionary Anthropology and Biologyの演習サイトです。生物進化の例が多いですが、主にRを使って系統学の初歩が学べますし、文化現象を対象としたチュートリアルもあります。
Alex Mesoudi: Useful Links
Exeter大学のAlex Mesoudi博士がまとめてくださった、文化進化の研究者と、文化進化が勉強できる大学のリストです。
Hisashi Nakao: Books of Evolutionary & archaeology
山口大学の中尾央博士がまとめてくださった進化考古学(文化進化の概念を中心に据えた考古学)と文化系統学の文献リストです。
進化生物学の理論

文化進化はその手法の多くを進化生物学から借りてきているため、進化生物学、とくに理論集団遺伝学の知識が理解の助けになります。 ここでは、何冊か生物学の教科書を紹介します。

J. F. クロー(著)、木村資生(訳)、太田朋子(訳)(1991)『遺伝学概説』培風館
集団遺伝学のコンパクトな教科書です。メイナード・スミス『進化遺伝学』、安田徳一『初歩からの集団遺伝学』、関村利朗、山村則男(共編)『理論生物学の基礎』の第6章なども参考になると思います。
巌佐庸(1998)『数理生物学入門』共立出版
日本語で読めるなかでは、数理生物学のもっともスタンダードな教科書です。リファレンス的に使うのであれば、Otto, S. and Day, T. 2007. A Biologist’s Guide to Mathematical Modelingも、記述が丁寧でおすすめできます。
学会
日本人間行動進化学会(HBESJ)
文化進化を含む、人間行動進化全般の研究者が集結する学会です。
日本進化学会
生物進化の学会ですが、文化進化や言語進化(言語の生物学的基盤含む)に関する発表やワークショップも企画されます。
Human Behavior and Evolution Society(HBES)
European Human Behaviour and Evolution Association(EHBEA)
それぞれアメリカ、ヨーロッパの人間行動進化学の学会です。
Evolution Institute
最近できたばかりの団体ですが、文化進化の新しい学会を立ち上げつつあります。多様な分野の研究者が参加しており、今後の動向に注目が集まっています。

おわりに

最後に、文化進化研究の今後の展望を紹介して締めくくりたいと思います。 文化進化研究が蓄積してきた知見の中心は、個体間の文化伝達プロセスの変化が、どのように集団の文化進化のパターンに影響するのか、という理論でした。 今後は、こうした知見を使って、隣接他分野のより具体的な問題解決に応用されるようになると、私は考えています。 実際に、考古学では「進化考古学」という研究プログラムが生まれていますし、日本においても「ネアンデルタールとサピエンスの交替劇の真相」プロジェクトでも、作業仮説は文化進化の考え方を下敷きにしていました。 今後、隣接分野との円滑な協同研究を進めるために、文化進化研究の中心概念をうまくパッケージ化した普及プログラムを作ることと、簡便に利用可能なツール・プラットフォームを整備することが、ますます重要になってくるでしょう。 また、現在、文化進化の実証研究の多くは、生物進化の解析手法をただ借用しています。 しかしたとえば、文化の系統では一度分岐した系統の再合流が頻繁に起こるなど、生物進化と文化進化の違いもまた存在します。 そのため、こうした違いを明示的に扱えるようにした、文化進化独自の解析手法を開発する取り組みも増えてくるでしょう。

このブックマークが今後文化進化研究に参入してくる方々の助けになることを願うとともに、筆者自身が散逸している情報をまとめ、一貫した学習環境がないという現状を改善していくきっかけにしていきたいと思っています。

謝辞

本稿執筆にあたり有益なご助言を頂きました井原泰雄博士と中尾央博士に深く感謝致します。