【講演概要】

文学とコンピュータ

佐藤 容子 (東京農工大学 英文学専攻)



 私はこれまで英文学(詩と演劇)を専攻してきたが、 改組により工学部の情報コミュニケーション工学科に所属することになり、 文学と工学の接点に関心を持つようになった。 今日の電子メディアの登場が文学にどのような影響を及ぼしうるか、手探りの 状態ながら、いくつか問題を挙げてみたい。
 文学とコンピュータの接点は次の三つの側面から考えられると思う。 第一に、文学研究にコンピュータはいかなる役割を果たしうるか。 第二に、文学創造にコンピュータは貢献しうるか。 第三に、電子テクストはいかなる詩学をもちうるか。
 第一の、コンピュータが文学研究に果たす役割についてだが、 これはフルテクスト・データベースを活用する方法論の確立にかかっていると思われる。
 たとえば最近、シェイクスピアの知られていない作品ではないか、 とされたテクストについて真偽を確かめる手だてとしてコンピュータによる文体解析を試みようとした研究発表を聞く機会があった。 興味深い試みながら、難しい問題を孕んでいると容易に想像された。 そもそも、シェイクスピアと他の劇作家のテクストを区別するプログラムを 作成するにあたっては、シェイクスピア作とされたきたものの特徴を定式化することが 必要であるが、これはコンピュータを通してではなくてこれまでの歴史的研究のなかで 既にシェイクスピア作とされてきたものを自明のサンプルとして利用せざるをえない。 そしてこのプログラムの精度を挙げること自体が容易ではない。ましてや未知のテクス トを予測するという段階には至っていないのではないかと思われた。
 しかし将来的には可能性を秘めていると考えられ、その時重要になってくるのは、こ れまでのコンピュータによらない文学批評の蓄積とコンピュータを利用することによっ て得られたデータの蓄積をいかに結びつけて包括的な視点を打ち出しうるか、という点 であろう。どのテクストを取りあげるべきなのか、また何をコンピュータで分析しうるか、 という着眼点を育むには、他の研究分野との連携が必須となるのは疑い得ない。
 しかし何と言ってもコンピュータの最大の利点は、膨大な量のデータを高速で扱える ことにあろう。その点で私が関心を抱いているのは、たとえば詩の分析にコンピュータ が貢献しうる可能性である。私は、W.B.イェイツの詩と演劇を研究しきたが、 最近イェイツの全作品がCD-ROM化された。 イェイツのようにある一群のことばを極めて象徴的に用いる詩人・ 劇作家にとって、その散文作品も含めたデータ・ベースが完成しつつ あることは、体系的な語法を捉える手がかりが広がったと考えられる。コンピュータを 通してみたイェイツ作品のテクスチャーがどのような肌理のものになるか、興味深いと ころである。
 けれども、この場合、文学作品との出会いは本質的には量的なものである必然性 はない、 という点も同時に心にとめて置かねばならないだろう。ただ一編の詩を読む、 また聞くことによる文学体験と、定量化されたデータを読みとることの間にあるものは 何か検討していかねばならないであろう。
 第二の、コンピュータによる文学創造の可能性について簡単に触れると、ひとつには コンピュータのネットワークが重要になってくると思う。ネットワークの利用により個 人的な文学的営為ではなく、たとえば連歌のように社会共同体の営為であるような文学 形式が広がる可能性がある。また集合的・無意識的な声を結集させていくことも可能か もしれない。しかしこのとき、コンピュータによって創り出される環境の質があらため て問われることになろう。そこに創出されるのはどのような空間なのか。社会空間と呼 べるものなのか。虚構の空間なのか。
 そこで第三の、電子テクストの詩学の構築が求められることになろう。電子テクスト は、口承による文学的営為や実際の舞台による劇場体験、また文字テクストによる 文学的営為における作者と読者の関係を変えていくと思われる。作者と読者の境界は流 動的となっていくであろうし、 工学的アプローチで文学の本質にどこまで迫れるかという問いは、 工学的アプローチが文学の本質を変える可能性があるのではないか、という問いに までいきつくことになろう。