岡本 尚子 (仏トゥール大学文学博士)
小田 淳一 (東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)
ヤーコブソンが韻文の音声中心主義に対して, より現実的かつ科学的であるとしたヴァレリーによる詩の定義 「音と意味の間の躊躇」を敷衍すれば, 歌曲とは「詩テクストと音楽テクストの間の躊躇」, 或いは少なくとも,詩テクスト内部の「躊躇」に音楽テクストが関与するものであると言える. この文脈下で興味深い事例の1つがヴェルレーヌの詩集『艶なる宴』である. この詩集は,詩人が20代始めの1867年より雑誌に順次発表された詩を集め, 1869年に2つ目の詩集として刊行された. 当時は殆ど無名だったヴェルレーヌのこの作品に触発され, 2人の作曲家が歌曲を残している. まず,ドビュッシーは自身も20歳の1882年に5曲を作ったが, そのうち3曲を1891年に書き直している.また, この同じ3篇の中の2篇及び他の1篇については, フォーレが40歳を過ぎて1887年から1890年にかけて曲を付けている. 本報告は,これらの曲を対象として,作曲家内/作曲家間における両テクストの異同や, 様々なレベルの関係性を考察する.