【講演概要】

日本語話者における<好まれる言い回し>としての<主観的把握>

池上 嘉彦 (昭和女子大学大学院文学研究科)



言語学で言う<話者>は、単に文を発するだけの存在というようなものではない。 話者は発話に至る前に、発話の対象とする<事態> と認知的に関わり合うという過程を経ているはずである。 どのような<事態>であっても、 そこに含まれるあらゆる特徴をすべて漏らすことなく言語化することは明らかに不可能であるし、 また、実際問題として、そのようなことをしなくてはならない理由もない。 おおまかにいって、話者は自らが言語化しようとする<事態>のうち、 どの部分を言語化し、どの部分を言語化しないかについて選択し、その上で、 言語化する部分については、どのような視点から言語化するかを決める。 その場合、どのような選択をし、どのような決定をするかは、 話者自身が<主体的>に ― つまり、 自らとの関わりがどの程度あるかないかを判断することによって行なう。 文字通りの<発話の主体>として振舞う前に、話者は<認知の主体> として言語化の対象とする<事態>と認知的に取り組む ― 言うならば、それを主体的に<意味づける> ― という営みをしているということである...