青木 慎一郎 (岩手県立大学)
精神医学は身体医学とは異なり、客観的な自然科学的現象のみが対象ではなく 「主観的な心理」をも対象とする。しかし、 現代の学問としての心理学は客観的なデータを対象とする実験心理学が主流となっている。 私は長年にわたって心理学を専攻する学生に精神医学を教えてきた。 講義で後述する「了解」について話すと、 「了解というのはどのように実験するのですか?」という質問を受ける。 精神医学においても例えば一般的な診断基準の DSM (Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders) のようにマニュアル化するための客観性が重視される傾向にある。 この診断基準では、精神病理学の「了解」概念は取り上げられていない。
「了解」とは患者さんの主観的な心理を把握する方法である。もちろん、 「了解」が主観的な心理を対象とすることからくる課題があることも指摘されている。 そうはいっても、臨床における精神医学は、心理臨床もそうだが、 患者さんの主観的な心理を主な対象としていることも事実である。 つまり、症状の多くは患者さんの主観的な心理であり、患者さんの「ことば」 を通して初めて把握することができるものである。本発表では、 患者さんの主観的な心理を表現する「ことば」と、 それを聞く方がその主観的な心理を把握する方法としての「了解」をテーマとする。 精神病理学者ヤスパースの発生的了解、 つまり「心的なものが心的なものから生じるのを了解すること」 について物語生成論の観点からの検討を試みたい。